雑文屋 環

散らします。日常に浮かぶ言の葉。

小川未明 殿さまの茶わん

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ブログを始めたばかりの私ですが、今日はそんな自分だからこそ気をつけたい、初心忘れるべからず、驕るなかれという身につまされるお話を紹介します。

 

 

小川未明作 殿さまの茶わん

むかし、あるくに有名ゆうめい陶器師とうきしがありました。代々だいだい陶器とうきいて、そのうちしなといえば、とお他国たこくにまでひびいていたのであります。代々だいだい主人しゅじんは、やまからつち吟味ぎんみいたしました。また、いいかきをやといました。また、たくさんの職人しょくにんやといました。

腕がいいと評判の陶器師がいて、その陶器師が作る軽く薄い陶器の噂は周辺の国々まで響いていました。そんな噂を聞きつけて、ある役人が「お殿様の食器を作ってほしい。」と依頼します。

 

それを聞いて喜んだ陶器師は、店の者に「おまえたち、陶器というものは軽くて薄い品こそ上等なんだ。」と叱咤し、精いっぱい上等なものを作るよう注意しました。

 

茶わんの善悪とは

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そして出来上がった陶器は役人によって献上されるのですが、手渡された殿様は

ちゃわんの善悪ぜんあくは、なんできめるのだ。」

と問います。すると役人は

「すべて陶器とうきは、かるい、薄手うすでのをたっとびます。ちゃわんのおもい、厚手あつでのは、まことにひんのないものでございます。」

と答えます。殿様は黙って頷くと、その日から茶わんは食器として供さるようになりました。ですが、薄い茶わんは熱い汁をよそったときに手が焼けるように痛く、殿様は

「いい陶器とうきというものは、こんなくるしみをえなければ、愛玩あいがんができないものか。」

と苦々しく思います。

「いやそうでない。家来けらいどもが、毎日まいにちおれ苦痛くつうわすれてはならないという、忠義ちゅうぎこころからあつさをこらえさせるのであろう。」

と考えますが、

「いや、そうでない。みんながおれつよいものだとしんじているので、こんなことは問題もんだいとしないのだろう。」

 

 と、懊悩したのち自分を納得させます。ですが、次第に三度の食事が苦痛に感じられてきました。

 

心づくしのもてなし

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そんなおり、殿様はとある山国に旅行をしました。不便なところなので宿もなく、百姓の家に一夜の宿を求めます。

 

すると百姓は貧しいながらも真心を込めたもてなしで、殿様を喜ばせました。季節は秋から冬になろうとする頃なので、供された熱い汁物は殿様の身も心も温めます。ですが、この器は無骨で厚かったので手が熱くなることはありませんでした。

殿とのさまは、このとき、ご自分じぶん生活せいかつをなんというわずらわしいことかとおもわれました。いくらかるくたって、また薄手うすでであったとて、ちゃわんにたいしたわりのあるはずがない。それをかる薄手うすで上等じょうとうなものとしてあり、それを使つかわなければならぬということは、なんといううるさいばかげたことかとおもわれました。

軽くて薄いから上等、重くて厚いから下等などといううわべの評価はまったく馬鹿げている。本質を見ていない。使う者を気遣う心こそが肝要なのだ。と殿様は気付きます。そして、「この茶わんはどこの陶器師が造ったのか?」と尋ねます。すると百姓は

「だれがつくりましたかぞんじません。そんなしなは、もない職人しょくにんいたのでございます。もとより殿とのさまなどに、自分じぶんいたちゃわんがご使用しようされるなどということは、ゆめにもおもわなかったでございましょう。」

と答えます。それを聞いて殿様は、(茶わんには熱い茶や汁が入れられる。それを陶器師が心得ているからこそ安心して熱い茶や汁が食べられるのだ。)と感心するのでした。

 

苦しい胸のうち

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旅行を終えて城に戻ると、殿様の前にはまたもあの薄手の茶わんが供されます。(また熱い思いを我慢しなければならないのか…。)顔色が曇ります。

 

ある日ついに殿様は、件の陶器師を城に呼び出します。陶器師はお褒めの言葉を頂けるのかと期待するのですが、

「おまえは、陶器とうき名人めいじんであるが、いくら上手じょうずいても、しんせつしんがないと、なんのやくにもたたない。おれは、おまえのつくったちゃわんで、毎日まいにちくるしいおもいをしている。」

それから陶器師は、厚手の茶わんを作る普通の陶器師になりました。

 

結びの言葉

いかがでしたか?

小手先の技術や美文にとらわれるあまり読者を置いてきぼりにしていないか、常に考えながら発信していきたいものですね。たまきでした。